いま語るべきか判らないけど。
でも、いま語ろうと思いました。
こんばんは、京都初の心霊診断士
平成小野篁 会いに行ける霊媒師 惠御子です。
本日都に戻りました、運良く雨を避けて動いていますが、都は雨降り。
いまも上京区は大雨で京都市内は警報や避難勧告が出ている地域もあります。
どうか被害が出ませんように。
神奈川滞在中に発災した北海道地震。
夜になり、東日本関連の地震である知見を示した専門家がいるとの話が入ってきました。
さまざまな思いが去来しますが、わたしもそこにはいろいろな思いがあります。
京都で秋にとあるイベントに参加する予定にしていまして、そこで防災啓発を計画しています。
なぜ霊媒師が防災か。
その答えは、いまのわたしがあるのが東日本大震災ありきだからです。
わたしは2002年ライターとクリエイターとしてフリーランスになりました。
その2年後2004年に日本古参の霊気一門に入門、霊気療法家として8年目を迎える年に
280名の師範中17名しかいない最上級師範に昇格。
指導者として後進育成に当たってきました。
この時出会った霊能者が引き金となり震災の一ヶ月前に組織を独立。
その際屋号、公認ディプロマを剥奪され、引退したことにされ公式発表されました。
その結果活動していた本名で仕事ができなくなり、苦肉の策で名乗ったのがいまの「えみこ」の名前です。
独立したわたしはしばらくNPO法人を運営していた霊能者の事務所に間借りして営業していました。
この法人が発達障がいを専門にしていたため
あの日を迎えることになります。
あの日、3/11。
わたしは、千葉県市川市に霊能者とともに30年近い引きこもり家庭の支援に向かいました。
そして、被災。
帰宅難民となり、大切な子どもだけを未曾有の災害の中神奈川に取り残すことになります。
当時子どもは20と17、ともに学生でした。
一夜明けて神奈川に帰り顔を見るまで生きた心地はしませんでした。
このときのダメージが元でわたしは能力を使えなくなります。
2012年三月、霊能者の元をやっとの思いで離れたわたしは仕事をすべてやめ、力を捨て
普通の会社員として働き出しました。
死んだように生きていた2年半、震災の動画を見ては泣き暮らしていました。
そんなとき、かながわ311ネットワークと出会いました。
「食べるボランティア」として、のちにわたしの人生を大きく変える復興キッチンを開催していたのです。
気づけばわたしは復興キッチンの人になって、気仙沼に行っていました。
人の運命はわからないものです。
この被災地訪問を機にわたしは自らの復興を強く誓い、被災地とともに歩き始めることになります。
そしてその矢先、わたしが現地でお世話になった方のご身内がアンナチュラルで他界されます。
「最期は、どうだったんだろう」
この言葉が、わたしの中にある何かを揺さぶりました。
もしもう一度力を使えたら、最期を見てあげられる。
もう一度だけでいい、そうしたら二度と使えなくて構わない。
もう一度だけでいい、最期の言葉を伝えてあげたい。
これが全ての始まりでした。
あれから5年が過ぎようとしています。
わたしがこうして霊媒でいるのは、自分の意志ですが、意志だけではないのです。
導きというものがあるならば、これも一つの導きだと思えてならない。
丸五年、防災と復興支援に携わってきました。
そこで見聞きしたものが、誰かの役に立つなんて、考えたこともありませんでした。
最近ふとしたきっかけから、それは切り離してはいけないものじゃないかと気付かされ。
そして、改めて思ったのです。
語ろう、と。
わたしが霊媒となった根幹を。
あの震災がなければ、いまのわたしは確実にいない。
だからこそ、大規模災害に胸が痛くなるわたしがいます。
非力だけど何かをしたいわたしもいます。
わたし自身まだ復興半ばだけど。
復興します、必ず。
だから、応援し続けたいのです。
いまこんな話は、不謹慎なのかもしれない。
でも、いま言わなきゃ、そう思ってしまったから。
ほんと、すいません。
どうか一日も早くみんなが平穏に暮らせますように。
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