必要なものは、必ず戻される。
おはようございます、京都初の心霊診断士
平成小野篁 会いに行ける霊媒師 惠御子です。
今日は、スピリチュアルとハラスメントと
使命という、あちこちな話をします。
嫌な方はスルーしてくださいまし。
わたしの『エミコ』という名は、親に盗られた名前です。
わたしの出生時、一族の中の人間関係が元で
親から盗られた名前。
代わりに与えられた名を亡き祖母が嫌い、代わりについた名が『ミエコ』。
それが何故か40年以上に渡り、銀行でまで
『エミコ』と呼び間違われてきたことから
名前のからくりに行き着くことができました。
震災の少し前の話です。
しかし。
その事実を掴んだとき、スピリチュアルに無知なわたしに
ある霊能者が名をつけました。
『あず』。
1ミリもしっくりこないこの名前に、わたしは
論破して覆すだけの理論を持たず結局受け入れてるしかありませんでした。
は?えみさん、なに受け入れてんの⁈
馬鹿なの?
はい、馬鹿です笑。
あのときのあたしは、ほんとーに馬鹿でした。
でも、その馬鹿さには理由があってね。
自分で考えて、決めて生き、責任を取る。
そんな基本的なことを、したことがなかったんです。
この4ヶ月の間に二人の先生からセッションを受けました。
一人は脳、一人は手相。
その結果、わたしの人生はかなりハードでなおかつ変わっていることがわかりました。
それもそのはず、わたしの母親はある意味度を越した毒親だからです。
『毒親』という言葉が世に出て久しいけれど
わたしは占い師になったおかげで毒親にも
二つのタイプがいることがわかりました。
運勢的に毒親になるしかないタイプ
と
後天的毒親タイプ
わたしの母親は、前者でした。
運勢なら、必ず救済措置があるはず。
わたしはそれを探し出し、行いました。
こうして、念願の一つである呪詛の解除の処方箋を見つけ出したのです。
呪詛の解除。
それに興味を持ち始めたのは、2010年。
きっかけは、このドラマでした。
このドラマに出てくる『病を処方する手』。
それは実在するのではないかと思い、その真相を究明しようとしました。
その結果、とある組織のハラスメントに遭い
名前と実績を剥奪され、この業界から事実上抹殺されてしまったのです。
当時別の理由で命を守ることに必死だったわたしは
苦肉の策として名前を改称し、ゼロからやり直すことを決意。
そこに乗っかってきたのが、先出の霊能者。
いまとなれば、コールドリーディングという手法を使っていた詐欺師だとわかりますが
あのときはそれさえわからないくらい未熟でした。
以来霊能者が大嫌いになりましたが笑
なぜかガイドさんからこの曲が贈られましたけれども笑
ハラスメントにより奪われた『ミエコ』の名前。
祖母がくれたこの名前は、わたしの生きる糧であり最後の頼みの綱でした。
そして、この名と神は契約をしていたのだろうと思うのです。
名を盗られたわたしは力を失い、きっと被災もしたし、居なくもなったし、神も怨みました。
でもね。
神様は見ていたんです、ちゃんと見ていた。
似非霊能者は、いつも言っていました。
神が捨てるものなんか、誰も拾わない。
拾う神など居りはしない、と。
たしかにいなかった、東には、ね。
東の神が捨てたわたしを拾ってくださったのが西の神。
だからわたしは、西に居るのです。
一条戻橋。
この橋を渡ると、過去が還される。
取り戻し方には、ルールがありますが、わたしはそれを試してみました。
そして、先日のパイプオルガンコンサートの席で、それは起きたのです。
モンスターボックス。
その言葉とともに記憶が流れ込んできました。
名は、使命。
エミコという使命を親に奪われ、ミエコという使命を師範に奪われたわたし。
脳内セラピー中に身体が喋った『生きていてごめんなさい』という魂の悲鳴。
ああ、こうして魂は殺められていくんだね。
そう悟った瞬間でした。
オルガニストと、和太鼓の演奏を聴きながら。
わたしがわたしらしく生きるスタイル。
フリーライター水口美惠子×心霊診断士 惠御子
ライターときどき霊媒師、それがわたしの正体です。
エミコの使命も、ミエコの使命も、もはや諦めてなんかやらない。
あたしは言葉を媒介に現実と黄泉にまたがりお役を果たすことを決めたのです。
我が契約神である下鴨神社の神様に。
頑張らないと、拾われた恩に報いねば。
オルガンコンサートラストの曲は、ボレロ。
和太鼓とパイプオルガンの素晴らしい曲に目が冴えるばかりでした。
いま思うと、これはわたしの再生のファンファーレかも知れません。
黄泉がえりには、ぴったりな気がしません?笑
9/15 体験会開催します。
明日9/11はシャノワール在室日です。
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